こちら側は全く動かなくても、数百円払えば、いろんな場所に連れて行ってくれるのだから、小説はいい。怠け者の私にはピッタリだ。
場所、というのは現実的な場所、たとえば知らない国とか島とかを指すだけではなく、時間的な場所(昔や未来)、概念的な場所をふくむので、世界と言ったほうが正しいのかもしれない。
友人と昼間から忘年会をして美味しい酒を飲み、刺身を食べた帰りに、乗換駅の本屋に寄り、ぼんやりと徘徊する。新刊コーナーの隅っこで平積みになっていたのが、講談社文芸文庫の新しいアンソロジーである。
『深淵と浮遊 現代作家ベストセレクション』(高原英理編)
堅苦しいタイトルで、小説がよっぽど好きでなければ、手に取らないのではないか。少しもったいないような気もしたが、買って帰って読めば、うん、それでいいかな、と思った。小説がよっぽど好きな人には自信をもってオススメしたいが、小説をあまり読まない人には全然オススメできない本だったから。
収録作品(短編)は以下のとおり。
伊藤比呂美「読み解き「懺悔文」女がひとり、海千山千になるまで」
小川洋子「愛犬ベネディクト」
多和田葉子「胞子」
筒井康隆「ペニスに命中」
古井由吉「瓦礫の陰に」
穂村弘「いろいろ」
町田康「逆水戸」
山田詠美「間食」
基本的に全て、意味がよく分からない。でも、意味がなんだっていうのだろう、という気にさせてくれるのが、良い文学、良い芸術だと思う。分からないものを、驚異を驚異として、そのままキャッチできるのはひとつの若さだ、というような趣旨のことを本書で穂村弘が書いていた。この考え方でまるごと一冊を肯定できる。
とくに多和田葉子「胞子」から筒井康隆「ペニスに命中」の流れには、容赦がなさすぎて、「殺す気か…!?」とつぶやいた。でも本当の本当に殺されることは(たぶん)ないからやっぱり小説はいい。
そこからの古井由吉「瓦礫の影に」である。狂気の高低差にクラクラしちゃう。やっぱり小説をあまり読んだことない人は、この感じで小説がトラウマになっちゃうんじゃないかと思うので、おすすめしがたいな。
「瓦礫の影に」は敗戦の焼け跡でのゆきずりセックスのあと、彼女の面影がずっと忘れられないという話で、その物語のフラフラとした運行を息をひそめて見守った。最後は知らない場所に来てしまったような感覚になる。ああ、そうだ、と思う。
狂っているとか狂っていないとか、意味が分かるとか分からないとか、そういうことがどうだという話ではなくて、たしかに物語が私をよく知らない場所に連れて行ってくれた、その「途方のなさ」の手応えがあるかないか、という話。私たちをどこかに連れて行ってくれるのが物語の効能だとしたら、このアンソロジーは最高に良かったと手放しで言うことができる。
読み終わったのは大晦日の昼下がりで、気づくと誰もいなくなったリビングで、夢からさめたけどまだ眠たいような、そんな気分で、さっきいれたお茶がぬるくなっていて寂しい。