私は百合子を嫌いになれない
とにかく面白かった。週刊誌を読んでるような感覚で、続きが気になりどんどん読み進めてしまう。わりと身近な、生きている人のノンフィクションってこんなにも興味深いのか…と感動した。著者の石井さんの文章もものすごくうまい。
ちなみにこれから買う人にはkindle版より単行本をおすすめする。一気に読んでしまうので、kindleだと目が痛くなる(なった)。
(※6/7追記:いま本屋やインターネットでは単行本売り切れだそう。Kindleで読むなら休み休み、なるべく大きいデバイスがおすすめよ…!!)
引き込まれるのは何といっても百合子のエジプト留学時代のエピソード。当時彼女と同居していたという女性が詳細を語っている。
入居する時、小池は部屋の壁の色が気に入らないといって、突然、黒いペンキを買ってくると塗りたくってしまった。最後はペンキ缶からそのまま中身を放り投げるようにしてかけた。
家主の許可を得ずに黒のペンキをぶっかける女。。。
これは完全に個人的な好みの話だが、私はこういう女がなぜか大好きだ。たまらん。一緒に暮らしてる人は大変だとは思うけど。。
ヒルトンにいる父親に、小池は会いに行く。するとある日、白い大きな巾着袋のようなものを手に提げて、アパートに帰ってきた。
小池はその巾着袋をテーブルの上に置くと、早川さんの眼をじっと見つめながら、無言で巾着の口を握っていた手を離した。
ガチャガチャと音を立てて巾着は四方に広がった。中から現れたのは、コーヒーカップ、皿、ナイフ、フォーク、シュガーポット……。すべてにヒルトンのロゴが入っていた。白い巾着はテーブルクロスだとわかった。父親とルームサービスを取り食器をテーブルクロスごと包んで、丸々、持ってきたのだと、小池は悪びれることなく早川さんに告げた。
このエピソードもだいすき。高級ホテルのカトラリーをテーブルクロスごと包んで持って帰ってきちゃう女。。やばすぎる。現地の法律を知らないが、たぶん法律的にもダメだろう。でもこんなのされたら思わず好きになっちゃうかもしれない。なんでだろう。。
まあこのへんは政治家になる以前の話だからいいとしても、政治家になったあとも阪神淡路大震災の被災者の訪問をマニキュアを塗りながら対応したり、拉致被害者家族の方々の前でバッグをなくし、見つかるやいなや「私のバッグ、拉致されたかと思った!」と発言するなど、とにかくデリカシーがないというか自分勝手というか…。
でもなんでか正直これらのエピソードからも私はやっぱり百合子を嫌いにならない。私の人格が破綻しているのだろうか?
本には親しい友人も、頼れる政治家もいなかったと書かれているし、それはたぶん本当なのだろう。まだ記憶に新しい、百合子が数年前に国政を乗っ取ろうとしたときに新党の代表に立てた若狭勝があまりにポンコツ感があったので。。察したというか。
ワガママで自分勝手、謎が多く、突拍子のない、あざとい女。政策批判を抜きにすれば、私は彼女のことが好きでたまらない。この本を読んで嫌いになる人ももちろんいるだろうが、、。うーん、、。私も嫌いになれたらよかったんだけどね。
ネオ百合子はたくさんいる
具体的にやりたいことがあるわけではなく、ただ脚光や名誉、承認を求め、自分の人生の物語をでっちあげ、それを効果的に語り、常に女優気分で「自分」を演じ続ける。読み進めるにつれ、そんな百合子の異常性がわかってくる。でもこれは百合子だけの話だろうか? 私にはそうは思えない。こんな人、インターネットにたくさんいるじゃん。
経歴詐称をしてオンラインサロンを立ち上げた人、マドンナ気取りで被害者ぶる人、コンテンツパワー重視で人生を選択する人…。何が本当で何が嘘なのか自分でもわからなくなりながら、自分の理想の物語を演じる。インターネットにはネオ百合子やプチ百合子があふれている。
そりゃ環境大臣や防衛大臣、新党代表や東京都知事を歴任した人とそのへんのインターネット芸人を比べるのはスケールが違うかもしれないが、言い方を変えれば、違うのはスケールのみではないか。彼女が若いころにインターネットがあったなら、情報ビジネスでお金を稼いで炎上して、まあその程度で終えられたのかもしれないな、と思ってしまう。いや、それでも彼女は政治家になっただろうか、、、。
人は物語に心を動かされる。なるべく美しく、分かりやすい物語を、メディアも大衆も求めている。でも普通に生きていれば、そんなに好都合の物語ばかりはうまれない。よくわからない事情や曖昧な理由、一筋縄ではいかないことばっかりだ。そこを少し修正する。後で辻褄をあわせていく。そうして人は物語をでっちあげ、自分自身を演じはじめるのだ。
まあ経歴詐称はダメなんだけど、なんというか、物語を求め、信じ込み、それに心も行動も動かされる人間たちがいる限り、なかなかなくならないのかな、と思ったりもした。
百合子は女性活躍の開拓者ではない
女性初の防衛大臣、そして都知事という快挙を成し遂げ、総理大臣の座にも手をかけつつある小池百合子は、しばしば「女性活躍の道を切り開いた」と言われる。たしかにザ・男社会の政治の世界で女性としてやっていくのは大変だったと思う。しかし具体的に彼女の「やりくち」を見ていくと、それが後人にとって良い方法なのか、本当に道を切り開いたのと言えるのか、疑問が残る。
彼女は自分の「女」を最大限に利用して生きてきた。ミニスカートを履き、化粧を整え、男性政治家の隣に陣どってネクタイを直してあげる。どんどん接近し、贈り物もする。実際に恋愛・性愛関係がどこまであったのかは分からないが、「権力と寝る女」と揶揄されるほど、自分の性的魅力をもって大物政治家と親密になり、のしあがってきた人だ。
私もわりとそういうことをしてしまう人間である。宴席で一番えらい人が誰なのかすぐわかるし、気づいたらその人の隣で親密に話している。それで仕事がやりやすくなることは身をもって知っている。別にそんなに悪いことだとは思っていないが、かといって胸をはって「女の処世術♡」といえるものでも決してないだろう。
女を武器にするとき、他の女はひたすら邪魔である。私にも女を使ってチヤホヤされ、ついでにのしあがろうとしていた時期があるが、「私以外の若い女はいなくなれ」と内心ずっと思っていた(最悪です)。表向きには「女性が活躍できるような職場、社会をつくることができるのは女性の私です」とアピールしながら。だから百合子の気持ちは分かるような気がする。自分が特別になりたいだけなのだ。そうでしょ?
ちなみに「ソープランド」という名前が生まれたのは百合子の功績(?)のようだ。もともと日本で性的なサービスをする特殊浴場が「トルコ風呂」と呼ばれていることに苦痛を感じていたトルコ人青年とともに国会議員に陳情し、「ソープランド」という名前が誕生したという。ここで大事なのは、彼女が問題視したのは「トルコ」という国名を使うことであって、性風俗の是非ではないということだ。
彼女は男の性欲への、性風俗への理解がある、話がわかる女だという印象を男性たちに与えることで男社会を生きていた。
この一文を読んで、ああ、私もそうだなあ、と思わされた。「男の話がわかる女」というポジションのなんと有利なことか。
百合子式の女性活躍は、周りの他の女性が自分と同じ方法で活躍しないことで成立するものである。自分が一番色っぽく、自分が一番男の機嫌を取るのが上手で、自分が一番男の話が分かる。そうでなくてはならない。百合子を女性活躍の開拓者と捉えていては本質を見誤るだろう。
最近の百合子を見ていて
新型コロナウイルスの日本一の流行地となった東京。オリンピックの延期が決まるやいなやテレビに姿を見せ、いろんな新語を生み出し、得意げに解説する姿は百合子らしい。「ロックダウン」や「クラスター」、最近では「東京アラート」など聞きなれない言葉が飛び出し、「カタカナばかりで分かりづらい。日本語で言え」といった声も散見されたが、私はそれを意外に思った。多くの都民は彼女のそういうシュッとしたアーバンな「雰囲気」に投票したのではなかったか。というかそれ以外に彼女の取り柄は特にないと思うのだが…。
都市部は浮動票が多く、具体的な功績や政策よりも雰囲気、その場の風で為政者が選ばれやすい。だから美しい物語をねつ造し、人工的に風を巻き起こすことができる百合子は圧倒的に強い。来月の都知事選にも立候補する予定で、おそらく再選となるだろう。4年前に公約として掲げた「満員電車ゼロ」「花粉症ゼロ」はどうなったのか…? 満員電車と花粉症を強く憎む私としては、それだけでもやってほしいけど…。
言うまでもなく、誰に投票するも投票しないも、誰を好きになるも嫌いになるも、自由だ。好みと正しさは一致しなくてもよい。この本で私は百合子にいっそう親近感を抱き、好きになったが、投票することはないと思う。
個人的には、任期中にもう一回くらい、謎の新語を発表してほしい。「東京アラート」によるライトアップは意図が伝わらずにデートスポットになってしまったが、そういう意味不明な感じはかなり楽しかったです。もっとうちらを狂わせて。エジプトのマンションの壁に勝手に黒いペンキを塗りたくった百合子よ。