2019年読んだ小説ベスト3(新刊)人はいかに生まれ、いかに死ぬか。

自分が生まれたときのことを覚えていない。気づいたらこの世界に立ち、過ぎ去る時間の濁流にさらされていて、今は年の瀬の地下鉄に乗っている。ほとんどの人が真っ黒のコートを着て、白いマスクをつけて、たまに咳をしている。


すべて、本当にすべてが、いつしか知らないうちに始まってしまっていて、死という終点までただ揺られるというのが、人生だ。

 

川上未映子という作家は、いつもそういう「取り返しのつかなさ」を疑い、哀しみ、懐かしんできた人だと思う。2019年7月に発売された「夏物語」は、彼女のいったんの集大成的な小説だったように思う。

 

自身の芥川賞受賞作「乳と卵」を前日譚に、人はいかに生み、生まれるのか、そのことの取り返しのつかなさを、多様な人物と物語をつかって、書いた。

 

取り返しがつかない、もう巻き戻せない、ということをいちいち哀しんでいるからこそ、こんなに世界をうつくしく、懐かしく書けるのではないか。一章読んでは、はあん、と声をもらしてしまう、そんな小説だった。

 

人はいかに生まれ、いかに死ぬのかということを、もっとセックスの観点から疑い続け、書き続けているのが、村田沙耶香という作家ではないかと思う。

 

2019年10月に発売された「生命式」という短編集は、彼女の思考の生々しい肉片が、匂いをもって収録されている。

 

表題作「生命式」は2013年に文芸誌上で発表された短編で、彼女ののちの傑作長編「殺人出産」「消滅世界」「地球星人」の狂気の前夜祭という感じ。

 

人が死ぬとお葬式ではなく「生命式」をするのが当たり前になった世界。その人の肉をみんなで食べ、おのおの公然と受精のためのセックスをする。

 

「正常は発狂の一種でしょう?」と話す男の精液を使って、海で「受精」をするシーンは、何度読んでも、エロいというよりひたすらに美しく、鼻がツンとしてしまう。

 

「海はいい。人間がはるか昔に住んでいた場所だから、DNAが懐かしがるんだ。山本は、そのときそう言っていた。」

 

「地球という大きな塊が体験している時の流れにとっては、ただの一瞬でしかない、私たち人類のまたたき。私たちはそのとてつもなく長い一瞬の中で、進化し続け、変容し続けている。そのとまらない万華鏡の一瞬の光景の中に、自分はいるのだ。」

 

 

万華鏡は一度傾けてしまえば二度と同じ光景は見られない。やっぱり取り返しがつかないからこそ、うつくしいんだよね。

 

2019年の後半は、あるひとつの短編を何度も読んだ。ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』収録の「あとちょっとだけ」。妹の死について書かれた12ページの短い小説だ。

 

「ため息も、心臓の鼓動も、オーガズムも、隣り合わせた時計の振り子がじきに同調するように、同じ長さに収斂する。一本の樹にとまったホタルは全体が一つになって明滅する。太陽はまた昇ってまた沈む。月は満ちそして欠け、朝刊は毎朝六時三十五分きっかりにポーチに投げこまれる。」

 

この書き出しが大好きだ。死者の時間はピタリと止まるが、残された者の世界の時間は無情に進んでいく、という当たり前ながら驚くべきことを、こんなふうに書くなんて、と思う。

 

ルシア・ベルリンは世界的に有名な作家ではなかったし、すでに2004年に亡くなっているが、その小さな小説を集めた本書が出版されるとたちまちベストセラーとなり、2019年に日本語訳が出版された。

 

彼女の時間はもうとっくに止まったはずなのに、私たちの時間は動いている、ということを、「あとちょっとだけ」を読むたびに気づき、その不可逆の事実に、さみしくなる。

 

本一冊をとおして、ずっと剥き出しの死の匂いがする。でもそれは怖い匂いというより、なぜか懐かしい匂い。

 

懐かしさは、もう一切取り返しがつかないという哀しみから差し出される、せめてもの穏やかな感覚だと思う。実体がつかみづらいけれど、そのぶん心の奥の奥のほうまで届き、果ての産毛をこまかくふるわせられる。

 

自分が生まれたときのことを覚えていない。

でも、自分が死ぬときのことは、何となく分かるような気がする。この3冊を読み終わったあとのような感じだ。

 

 

 

夏物語

夏物語

 

 

 

 

生命式

生命式

 

 

 

掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集

掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集